問題文全文(内容文):
【世界史受験】正誤問題対策シリーズ 01
「長文から誤りをさがし出す正誤問題 (学習院大学)」について解説しています。
【問題文】
『後漢書』西域伝によれば、西域都護の班固の部下の甘英は、後雯の和帝時代の1世紀、パルティアからシリアをへて大海に到達したという。かれは大秦国すなわちローマの存在を知っていたが、広大な海を前にして断念した。その海は大とも西海とも記されている。大奏の地は数千里四方、四百余城をかかえ、石の城郭をもち、 郵亭の交通制度が発達し、人民の身体はみな大柄であるという。中国の秦の対極にあるので大奏と呼んだ。大秦王安敦の使節が南海の産物を持って2世紀に後漢を訪れ、ベトナム中部の日南に到着したという。ローマ皇帝の使者と考えられている。
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【問題文】
『後漢書』西域伝によれば、西域都護の班固の部下の甘英は、後雯の和帝時代の1世紀、パルティアからシリアをへて大海に到達したという。かれは大秦国すなわちローマの存在を知っていたが、広大な海を前にして断念した。その海は大とも西海とも記されている。大奏の地は数千里四方、四百余城をかかえ、石の城郭をもち、 郵亭の交通制度が発達し、人民の身体はみな大柄であるという。中国の秦の対極にあるので大奏と呼んだ。大秦王安敦の使節が南海の産物を持って2世紀に後漢を訪れ、ベトナム中部の日南に到着したという。ローマ皇帝の使者と考えられている。
単元:
#社会(高校生)#世界史#大学入試過去問・共通テスト・模試関連#GMARCH
指導講師:
世界史予備校講師佐藤幸夫 Yukio Sato チャンネル
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【問題文】
『後漢書』西域伝によれば、西域都護の班固の部下の甘英は、後雯の和帝時代の1世紀、パルティアからシリアをへて大海に到達したという。かれは大秦国すなわちローマの存在を知っていたが、広大な海を前にして断念した。その海は大とも西海とも記されている。大奏の地は数千里四方、四百余城をかかえ、石の城郭をもち、 郵亭の交通制度が発達し、人民の身体はみな大柄であるという。中国の秦の対極にあるので大奏と呼んだ。大秦王安敦の使節が南海の産物を持って2世紀に後漢を訪れ、ベトナム中部の日南に到着したという。ローマ皇帝の使者と考えられている。
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【問題文】
『後漢書』西域伝によれば、西域都護の班固の部下の甘英は、後雯の和帝時代の1世紀、パルティアからシリアをへて大海に到達したという。かれは大秦国すなわちローマの存在を知っていたが、広大な海を前にして断念した。その海は大とも西海とも記されている。大奏の地は数千里四方、四百余城をかかえ、石の城郭をもち、 郵亭の交通制度が発達し、人民の身体はみな大柄であるという。中国の秦の対極にあるので大奏と呼んだ。大秦王安敦の使節が南海の産物を持って2世紀に後漢を訪れ、ベトナム中部の日南に到着したという。ローマ皇帝の使者と考えられている。
投稿日:2020.09.29