問題文全文(内容文):
【東大のディープな日本史傑作選③ 】
「律令国家の地方支配」について解説しています。
【問題文】
律令制度のもとでの郡司は、政治的・社会的にどのような存在であったか。次のア〜エの文章を参考にして、7行(210字)以内で述べ よ。
ア 他田日奉部直神護という人は、自分の祖父も、父も、兄も下総の郡司をつとめたので、自分も郡司に任じてほしいと願い出た。
イ 相模国のある郡司は、貧しい人々に代って、調・庸の布700端余り、出挙の稲1万1000束余りを納め、飢えた人々に稲5000束余りを支給して、表彰された
ウ 律令の規定では、郡司は、道路でその国の国司に出あった場合、 原則として馬から下りなければならなかった。郡司の勤務成績は、毎年国司によって判定され、中央に報告された。
エ 律令の規定では、刑罰のうち最も軽い答罪については、郡司が執行することが認められていた。郡司はまた、戸籍・計帳の作製や、調・庸を都に運ぶ人夫の監督、租や出挙の稲穀を納める正倉の管理などにもたずさわった。
(1988年度・第1問)
【東大のディープな日本史傑作選③ 】
「律令国家の地方支配」について解説しています。
【問題文】
律令制度のもとでの郡司は、政治的・社会的にどのような存在であったか。次のア〜エの文章を参考にして、7行(210字)以内で述べ よ。
ア 他田日奉部直神護という人は、自分の祖父も、父も、兄も下総の郡司をつとめたので、自分も郡司に任じてほしいと願い出た。
イ 相模国のある郡司は、貧しい人々に代って、調・庸の布700端余り、出挙の稲1万1000束余りを納め、飢えた人々に稲5000束余りを支給して、表彰された
ウ 律令の規定では、郡司は、道路でその国の国司に出あった場合、 原則として馬から下りなければならなかった。郡司の勤務成績は、毎年国司によって判定され、中央に報告された。
エ 律令の規定では、刑罰のうち最も軽い答罪については、郡司が執行することが認められていた。郡司はまた、戸籍・計帳の作製や、調・庸を都に運ぶ人夫の監督、租や出挙の稲穀を納める正倉の管理などにもたずさわった。
(1988年度・第1問)
単元:
#社会(高校生)#日本史#原始・古代#中世
指導講師:
ユーテラ授業チャンネル【YouTubeの寺子屋】
問題文全文(内容文):
【東大のディープな日本史傑作選③ 】
「律令国家の地方支配」について解説しています。
【問題文】
律令制度のもとでの郡司は、政治的・社会的にどのような存在であったか。次のア〜エの文章を参考にして、7行(210字)以内で述べ よ。
ア 他田日奉部直神護という人は、自分の祖父も、父も、兄も下総の郡司をつとめたので、自分も郡司に任じてほしいと願い出た。
イ 相模国のある郡司は、貧しい人々に代って、調・庸の布700端余り、出挙の稲1万1000束余りを納め、飢えた人々に稲5000束余りを支給して、表彰された
ウ 律令の規定では、郡司は、道路でその国の国司に出あった場合、 原則として馬から下りなければならなかった。郡司の勤務成績は、毎年国司によって判定され、中央に報告された。
エ 律令の規定では、刑罰のうち最も軽い答罪については、郡司が執行することが認められていた。郡司はまた、戸籍・計帳の作製や、調・庸を都に運ぶ人夫の監督、租や出挙の稲穀を納める正倉の管理などにもたずさわった。
(1988年度・第1問)
【東大のディープな日本史傑作選③ 】
「律令国家の地方支配」について解説しています。
【問題文】
律令制度のもとでの郡司は、政治的・社会的にどのような存在であったか。次のア〜エの文章を参考にして、7行(210字)以内で述べ よ。
ア 他田日奉部直神護という人は、自分の祖父も、父も、兄も下総の郡司をつとめたので、自分も郡司に任じてほしいと願い出た。
イ 相模国のある郡司は、貧しい人々に代って、調・庸の布700端余り、出挙の稲1万1000束余りを納め、飢えた人々に稲5000束余りを支給して、表彰された
ウ 律令の規定では、郡司は、道路でその国の国司に出あった場合、 原則として馬から下りなければならなかった。郡司の勤務成績は、毎年国司によって判定され、中央に報告された。
エ 律令の規定では、刑罰のうち最も軽い答罪については、郡司が執行することが認められていた。郡司はまた、戸籍・計帳の作製や、調・庸を都に運ぶ人夫の監督、租や出挙の稲穀を納める正倉の管理などにもたずさわった。
(1988年度・第1問)
投稿日:2024.05.03